てくてくと。
いつもと違う道を歩く。
アカデミーが終われば、いつものんびりと帰途につくことができていた…今までは。
いつも平常心を保つ、というより感情の乱れが少ないと自覚していたシカマルにも、わずかだが体に緊張が走った。
いくら頭が人より数倍よく、実力を持っていたとしても、今は戦乱の世ではない。
何年も、戦のない木の葉でシカマルは生きてきたのだ。
戦乱の世であれば、実力さえあれば何歳であろうと、戦力として実力にあった任務につかされていた。
しかしその時代は当の昔に終わり、今のアカデミーでは規定の年数在籍し、試験に合格したものが忍びになるというシステムをとっている。
したがって、今回のシカマルの人事は異例のことなのだ。
しかしシカマルが緊張を感じたのは、その人事に対しプレッシャーを感じたからではなかった。
シカマルに人事に対し、面倒くさいとしか思ってはいなかっかったが、他人には知られたくなかった。
誰一人知る人のいない集団に入るに当たって、まず気をつけないといけないことは周りから付け入る隙を与えないことである。
もしシカマルが火影の推薦というだけで、暗号解析部に入ったと知られれば、それ相応の妬みを買うことになるだろう。
また足を引っ張ろうとするやからも出るかもしれない。
俺だけならば、そんな輩のことなんて気にも止めないところだが、これからイノとチョウジもここに入ってくるのだ。
居心地のいいところにしておかなければ…とそれだけがシカマルにとって唯一の気がかりだった。
まぁその気がかりも当然のものといえる。
本人たちが乗り気であってもイノとチョウジが解部に行くことになったのは、シカマルが巻き込んだせいなのだから。
シカマルは解部の部署のある棟の近くまで来ると、父を参考にしながら自分が大人になった姿を想像し、変化の術を使った。
「ち、これじゃぁ奈良家の血縁だってすぐにばれちまうな。」
モクモクと煙の中から出てきたのは、20代前半の黒髪を垂らした長身の男だった。
確かに髪型、顔つき、特に目つきなどは父のシカクの若かりし時代を思い出させるようなものだった。
若干、変化したシカマルの方が物腰が優しそうで頼りになりそうな感じがし、人をひきつけるような魅力を放っていたのではあったが。
「よし、髪をキバみたいに短髪にして、眼鏡を常時かけてりゃ、わからねぇだろ。」
印を組むと、スルスルスルと長くまとめられていた髪が、短くなり、ついには髪を結んでいたゴムも必要なくなるほどにまで短くした。
そして度の入っていない黒縁の眼鏡をかけて。
「こんなもんかな。」
最後に自分の装備してきた忍具などに不備はないかを確かめ、シカマルは棟の中に足を踏み入れた。
中に入ってみると、壁や床の作りはアカデミーと同じだということがわかり、ほっと息をつく。
ただ、シカマルが火影に教えられた位置は地下へと続く階段を下りなければならなかった。
やっと「暗号解析部」と張り紙のされた、ドアの前にたどり着きほっと一息つく。
そして、火影に手渡された解部専用の鍵をドアの鍵穴に差し込んだ。
カチャリ、と小さいながらも音を立て、シカマルはゆっくりとドアを開けた。
そして、シカマルの目の前に広がったのは…
山済みとなって詰まれた書類が何束も机の上におかれどの忍びも無言で机に向かう、という光景だった。
俺、ここで働くのかよ。
とてつもなく面倒くさくなることをひしひしと感じ、このまま逃げ出したほうがいいのではないか、という考えが浮かび、ドアを閉めようと手が伸びた。
しかしその伸びた手をがっしりと握り締められ、シカマルは困惑する。
「君が火影様の言っていた人かい?」
「え!?あ、まぁ。」
「そうか、今は猫の手でも借りたいほど忙しいんだよ。調度いい時に来てくれた!ぜひ手伝ってくれ。」
がし、と片方の手もつかまれ、シカマルは涙ながらに懇願され、なんだこの暑苦しい雰囲気は…と火影の口車に乗ってしまった自分が情けないと思った。
「おさ~!参謀の方からお電話が来ていますよ!」
後ろの方から電話口を押さえた女が、この男を呼んだ。
男はちょっと待ってて、と俺に言い残すと急いで電話のほうへ向かった。
待っててといわれても、正直俺の頭の中は帰りたい、面倒くさそう、熱い、とこの部署に対して嫌なイメージでいっぱいだった。
というかさっきあの男、長とか呼ばれてなかったか!あんな疲れそうなやつが上司だなんて…
ここに来たことをホトホト後悔するシカマルだった。
「え?そんなこといわれても、こっちだって精一杯動いてて、そっちに回す人員なんて一人もいませんよ」
「だから、無理だって。一人でもいいなんて言われても…今日中に終わらないと困る?それはこっちだって一緒ですよ。」
「…わかりました。一人だけ回しますから、でも後でちゃんと返してくださいよ!」
話が終わったのか、長と呼ばれる男はシカマルの方に早足で歩いてきた。
ひどく申し訳なさそうな顔で。
「君、悪いんだけど、今人手が足りないって泣き疲れた部署があるんだけど、そっちのほうに向かってくれないかな?」
「…」
男の対応を聞いていた、シカマルは9割方そうなるだろうなと予想していた。
「ね!頼むよ」
お願い!と拝み倒すような勢いでその男に頼み込まれ、シカマルは仕方なく了承した。
「いいっすよ。」
しかしシカマルは憮然としないものを感じていた。
確かにこの場を離れることができるのはうれしい。
しかしアカデミー生の俺がわざわざここまで来させられたのに。
他の部署へいって手伝ってくれ、とは。
少しなめられているような気もしないではない。
それにあの長という人間は俺が何者のかも聞かなければ、その部署名さえも説明しない。
めんどくさいと思って俺は聞かなかったけど、これでよく長を勤めていられるな、と内心あきれていた。
「場所はここを上がって、右手にあるから。頼んだよ!」
「わかりました。」
イライラする感情を抑え、ドアをあけその男の教えた場所へと歩き出す。
しかし胸に感じるわだかまりは消えることはなかった。
解部の長が教えてくれた場所のドアには解部と同じように張り紙がされていた。
「参謀部」と。
「…まじかよ。」
参謀部といえば、任務遂行のために戦略を練ったり、ランク別に分類された任務の編成チームを決定するような部署だと聞いたことがある。
もちろん、最終的には火影や上層部の意向に沿わなければならないのだが、忍びの生き死にを握っているといってもいいといえる。
そしてこの部署に勤めることは木の葉の忍びたちの中で、とても名誉なことであると考えられていた。
なぜかといえば、この部署に勤めるには頭がいいことはもちろん、ある程度の強さも求められる。
なにしろ里の機密の一切を握っているのだ。
弱い忍びに守りきれるようなものではなかった。
その参謀部が、解部に頭を下げてまで人を貸せと頼んできたのにはわけがあった。
参謀部内で風邪が流行し、優秀な人材の多くがダウンしていたからである。
普段であれば、15人前後が出勤し、部屋の中も活気に溢れていたが、今は休む暇もない、みなが仕事をし続け殺伐とした雰囲気が彼らを覆っていたのだった。
ガチャ、とドアを開けても誰一人として書類から顔を上げるものはいなかった。
入り口に一番近い位置に座っていた女性が仕方がないとばかりに立ち上がり、はぁ、と完全にやる気のうせたシカマルの方に向かった。
その女性の頭にはキラキラと綺麗な細工の施されている櫛が光っていた。
木の葉ではもっとも多い黒髪を綺麗にまとめていて、とてもよく似合っていた。
その姿が本物であるかはわからないが、年は20代、雰囲気がとても大人っぽくて、並の男なら話しかけられただけで魅了されてしまうかもしれないほどだ。
もちろん、この女性も自分の魅力をよく知っていたし、実際男に振り回されたこともなかった。
「こんばんは。あなたは…ひょっとして解部のほうから回されてきた人かしら?」
「そうなんすけど…俺、参謀だって聞いてなかったんで…」
声をかけられ、一瞬帰ればよかった、と後悔の念が沸き起こる。
さっきから後悔してばかりだ。
「で、長の方はいらっしゃいますか?」
「今ちょっと書類を出しに出てていないのよ。もう少ししたら帰ると思うんだけど。」
「そうっすか。わかりました。」
シカマルは抑揚なく返事した。
「でも手伝いに来たんで所来た以上手伝ってもらうわよ?」
「はぁ、お願いします。」
「こちらこそ。よろしくね。ところであなたのお名前は?私は瑠姫っていうんだけど。」
「俺は黒雲といいます。何を手伝えばいいんすか?」
なんだか、新人っぽい助っ人ね?
それが瑠姫がシカマルに感じた第一印象だった。
眼鏡もダサいし、やる気なさそうだし、押しが弱そう。
ついでにいえば、かなりのめんどくさがりに見える。
「そうねぇ。」
ちら、とデスクの方に視線を向けるが、皆自分の仕事に精一杯でこちらに気を回す余裕はなさそうだ。
しかしいくら解部から来てくれたといっても、重要な書類を外部のものに任せることは出来ない。
ここは期限の迫っている、可もなく不可もない書類をお願いしようかしら、と自分の机の上からシカマルに任せてもよさそうな書類を選ぶ。
「じゃあこれを…そこの空いている机でしてもらっていいかしら?」
「わかりました。」
「わからないことがあったら何でも聞いてね?それと責任者の欄には…黒雲と書いておいてね。」
「はい。」
100枚以上あるかと思われる書類を受け取ると、すぐいすに座って、シカマルは仕事を始めた。
瑠姫は自分に対して、シカマルが顔を赤くしたり、じっと見つめたりしなかったので少し驚いていた。
見られることは瑠姫にとって、日常だったからだ。
しかし新人をいつまでも気にしている暇はなかった。
期限を迫られている仕事は他にいくらでもあるのだ。
渡した書類もかなりの量があり、すぐには終わらないだろう、そう高をくくっていた。
カチ、カチ、カチ。
時計が時を刻む音と、書類に書き込む音が、部屋を支配した。
どれだけ時間がたっただろう、と瑠姫は時計を見るが、5時半、まだ10分とたっていない。
当然だ、目の前に詰まれた書類の山も全く減っていないのだから。
しかし溜まりに溜まった疲労は簡単に瑠姫から集中力を奪う。
そして段々とまぶたが落ちそうになっては、頭を振り、必死に意識を取り戻す。
なんとか意識を取り戻し、書類を固唾家用とした瞬間、背後から肩を叩かれた。
「すみません。さっき渡された書類出来上がったんですけど、チェックしてもらっていいですか?」
え、ととっさに時計を見る。
さっき見て、意識がなくなって…それでも書類を渡してから20分くらいだ。
「あ、いいわよ?ありがとう。」
どうぞ、と渡された書類に目を通し、私の体がさっと冷たくなった。
あんなに短時間でこんなに大量の書類を処理したのに、どの書類にも的確に、そしてわかりやすく書かれていた。
いくら処理能力が高くても、このスピードは速すぎる。
私なんて比べ物にならないくらい。
ピシり、と瑠姫は自分のプライドにひびが入るのを感じた。
頼りなさそうな新人、そう思っていた奴に、劣等感を感じさせられ、かぁっと胸が熱くなる。
しかし、それを表に出すわけにはいかない。
「えぇ、助かったわ。ありがとう。」
「いえ。それで、俺はもう帰ってもいいんでしょうか?7時までには帰りたいんですけど…」
ピクリ、と瑠機の口元にゆがみが走る。
「そうねぇ。後もう少し手伝ってくれたら帰ってもいいわよ。」
ちら、と自分の書類の方を見ながら、書類をより分ける。
書類をより分ける最中に瑠姫は黒雲にちょっと痛い目にあわせてやりたい、と思っていたので。
書類の中でも、かなり難しそうな部類の書類の束二山をシカマルが座っていた机の上に置いた。
「じゃあこれ頼むわね!これ終わったら、今日は帰っていいわよ。」
先ほど渡した書類とは違い、難度がかなり高いものばかりだ。
瑠姫はいくら早く処理しても一日はかかるだろう、そう確信していた。
瑠姫の脳裏には国運が申し訳なさそうに誤る姿が映っていた。
せいぜい頑張って、と瑠姫は心の中でエールを送る。
「はい、わかりました。」
書類の量を見ても、表情を変えないシカマルに瑠姫は中を見たら仰天するだろう、とかすかに笑う。
しかしシカマルに私たぶんだけでかなりの量だったが、自分の仕事はまだまだ残っている。
そう、思い直し、自分のデスクに腰を下ろすと、自分の世界に入り込むように集中力を高めていった。
そしてまた、部屋に沈黙が続いた。
誰も彼も、下を向き、会話をするものはいない。
シカマルは自分の任された書類に目を通して、先ほどと内容の差を感じ、脱力する。
さっきはめんどくせーからてきとーに処理したのに、何で難しくなるんだか…
しかしこれを仕上げないことには帰れない、と思い直す。
そして先ほどよりも、真剣に集中し、書類にすばやく清書しながら、書いている手を止めないように頭を働かした。
シカマルの書類を見る眼光が鋭くなり、書き込むスピードも徐々に速くなる。
書き込まれた書類が横に詰まれ、どんどん山へとなっていく。
そして…
「じゃあ終わったんで、帰らせていただきます。」
「え、えぇ。どうもありがとう。とても助かったわ。」
唖然としている瑠姫に礼をし終えたシカマルは早々にその場を去っていった。
「なんて、なんて奴なの?!」
瑠姫はただただ、シカマルの仕上げた書類の山を見つめる。
そこには自分では到底考えもつきそうにないだろう、驚くべき戦略ばかり。
時計は6:50を指していた。
最初に渡した書類とは比べ物にならないほど難しいものばかりなのに、それを難なくあいつは終わらせてしまった。
瑠姫はその応えに対し感心するばかりだった。
始めは少し悔しいとも思ったけど、私の相手になるような奴じゃなかった。
それがわかったから。
ふっと笑いがこみ上げ、シカマルの去ったドアの方を眺める。
「仕事…しなきゃね。」
瑠姫はそういうと、机に、書類を片付けに戻った。
バタン、とドアを閉めて、シカマルはほっと息をついた。
別に緊張したわけではない。
あの、切羽詰った雰囲気が、とても面倒くさかったんだ。
それに今日が初日だというのに、たらいまわしにされ、シカマルは頭にきていた。
俺がわざわざ手伝いに来なくてもいいんじゃないか、という考えが何度も頭に浮かぶ。
手伝うといったからには仕方がないとはいえ、扱いがひどすぎる。
「さてと、帰るか。…今日のお礼をしなきゃなぁ。」
…火影様に。
そう考えながら、シカマルの口元はにやりと、意地悪げにゆがむ。
絶対に何か恐ろしいことをたくらんでいる表情だ。
その表情をチョウジやイノが見ていたら、ものすごい勢いでシカマルに考え直すよう説得を試みただろう。
しかしそのシカマルを見ているものは誰一人いなかった。
ぶるっと何かが背筋を走った。
「何じゃ?何か悪い予感が…」
「火影様。どうなされたのですか?」
解部ではいきなり火影が来たことで、皆騒然としていた。
なぜこんなところに!?
火影の接待をしている解部の長も内心ひどく動揺していた。
「いや、なんでもない。それより今日からここに配属されたものはどうかのぅ。様子を見に来たのじゃが」
きょろきょろと部屋の中を見回すが、お目当ての者が見つかないようだ。
「まだ7時になってないからここにいるはずなんじゃが…」
「えーと、どなたのことでしょうか?」
「ほれ、先週よさそうな者がおったからこちらに回すと言ったじゃろう。」
しばらく考え込んだ末、はっと頭を上げた。
あは、と顔に薄笑いを浮かべながら、胸の中でやばい、と呟いた。
火影の方を見ると、若干表情が引きつっているように見える。
「黒雲という名なんじゃが…」
「はい、先ほど来ましたが…」
そういわれ、火影はほっと安心する。
「そうかそうか、来たならいいんじゃが…で、そのものはどこにおるんかのぅ。」
「はは、あのぅ…実は、参謀の方で人手が足りないといわれまして…」
「ほう、それで?」
「はぁ、そっちの方に回ってもらいました。」
火影の迫力におされ、段々と言葉の語尾が小さくなる。
そんなに重要な人物だったのか、と詳しく聞かなかったことを悔やみつつ、火影の怒声に耐える覚悟をした。
「ばっかも~ん!!!せっかく配属を了承させたというのに!わしの苦労を無駄にしおって!」
すみません!と土下座でもしそうな勢いで頭を下げた。
大きい声を出し、疲れたのだろう火影ははぁはぁと息を切らした。
「して、参謀にいってからこっちには帰ってないのじゃな?」
「そうなんですけど…私が見てきましょうか?」
「もうよい!わしの方からフォローを入れておくから、次はよろしく頼むぞ。」
そういうと、ドアの方へ振り返り、火影はさっさとその場を退出した。
「申し訳ありませんでした!」
謝りながら、再度深々と頭を下げた。
その頭の片隅で、あれほど火影を慌てさせる人物っていったい何者なんだろう?という疑問が長の頭を占領する。
長の後ろでも、皆謎の人物についてそれぞれ思いついたことを言い合っていた。
あれほど火影が入れ込んでいるのだから実は隠し子だ、とか現実じみていない想像ばかり。
しかし解部に属しているものはどいつも探究心の高いものばかり。
この日からその謎の人物がここに再び訪れるまで、皆の話の種はこの謎の人物のことで持ちきりになることになった。
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