俺の名前は山崎退。
よく弱そうといわれるけれど、これでも新撰組で副長の助勤を命じられている。
…嫌、今は勤めていた、が正しいのかな。
新撰組はテロの多発する江戸を守る国家機関で。
そこで俺は情報収集を任されている監察として働いている。
見掛けが弱そうなおかげで、どこに行っても集団の中に簡単に入ることができる。
自慢できるようなことではないことだけど。
監察としてはまぁ優秀な方だと思う。
新撰組の隊の仲間には副長のパシリとして認識されている気もするが…監察として顔を知られるよりはよい。
時と場合によっては仲間だったとしても、切らねばならないこともあるから。
副長の命で。あるいは仲間の裏切りで。
でも副長は新撰組のことを一番に考えているということを俺は嫌と言うほど知っているから、この人についていける。
だから他の人よりも何度となく副長に怒られたり殴られても。
この人を信じることができるんだ。
でも今日から一ヶ月間副長を離れ、沖田隊長のもとに行く。
それからどうなるのかなんて想像もつかないけど。
沖田隊長の破天荒振りを思い出すと身震いがする。
あれをいさめなくてはならないのか、と考えるだけで。
…副長よりてこずることは間違いないだろう。
何せ副長がどれほどいさめようとも副長苛めをやめないのだから。
これからについて一抹の不安を胸に抱えつつも。
山崎退、今日もお仕事がんばらせていただきます。
ことの起こりは今から3刻ほど前のこと。
副長室でいつものように仕事をしていたら、これまたいつものように沖田隊長が乱入。
さらに沖田隊長が副長をからかうところまではいつもどおりだったんだけど…
沖田隊長が珍しく俺のほうにまで矛先を向け絡んできた。
「山崎も俺が副長になったほうがいいと思ってるんでさぁ。」
副長との言葉の応酬の中で、なっ沖田隊長は俺に笑顔を向けた。
「え!そんなことは…」
ない、と答えようとしたが言葉を濁した。だって副長の前で同意するなんて恐ろしいことなんてできないし、反対すれば沖田隊長ににらまれることになることは確実であるから。
沖田隊長を怒らせしまったら、どんな恐ろしいことをされてしまうか想像もつかない。
「それより!今日はどうなさったんですか?」
話題をそらそうと思い、ここにきた用件を聞いた。
沖田は山崎の言葉にさも今思い出したように、
「そうでさぁ。実はねぃ、副長だけに助勤がいるなんておかしいでさぁ。俺も隊長なんだから誰か、つけてくだせぇ。」
と副長の顔をうかがいながら、沖田は言った。
こんなに副長に気を使う沖田を見るのは初めてで、副長も驚いていた。
「馬鹿言うんじゃねぇ。他の隊長にもついてねーだろうが。俺は仕事の量が多いから近藤さんがつけてくれたんだよ。」
仕事をする手を止めずに、沖田に反論する。しかしそれは正論で、新撰組内で一番仕事が多いのは副長である。
本来ならば局長が書類を見るのだが、最近ストーカーに精を出しているので、その分まで副長のほうに回ってきているのだ。
そして、嘆願している沖田も隊長でありながら、昼寝をしてサボったり土方への嫌がらせをしたりと、隊長としての仕事を怠けることが多い。
それゆえ必然的に副長の仕事が増える。そう考えると沖田に助勤が必要だとは思えない。
もし沖田に助勤をつけたとしても、仕事を助勤にすべて任せて、遊びに行きそうだ。
もっともこれまで沖田が真面目に仕事をしたことなんて、数えるほどしかないのだが。
「へぇ。その点なら大丈夫でさぁ。ちゃんと近藤さんには了承を取ってきましたんで」
「な、ほんとかよ!まったく近藤さんも何考えてんだか…」
土方は障子のほうを見ながらぶつぶつと文句を言っていた。
しかし。
局長が決めたのであれば、仕方がない。
そう考え、しぶしぶとではあったが沖田に誰がいいのか、と聞いた。
「俺山崎がいいんでさぁ。お願いしますぜぃ。」
と沖田は珍しく頭を下げて頼みこむ。沖田にしては精一杯の敬語で。
敬語なんてはじめて使ったんじゃないだろうか。しかも普段あれほどなめきっている副長に。
これには山崎も土方も目を丸めて驚いた。
土方に対して頼み事をするなんて今までに1回もなかったからだ。
しかし山崎は驚きと同時になぜ俺を!?と戸惑いを感じていた。
確かに副長の助勤をしている手前、他の隊士より沖田隊長と話す機会は多く、仲はよいほうではあった。
だがそれも同僚としてで、非番の日に一緒にいるというような間柄ではなく、第一俺は1番隊の隊士ではない。
それに今俺は副長の助勤をしているのだ。
なのに、副長はどうするつもりなのだろうか。
「…山崎は今俺の助勤だ。それをわかっていて言っているのか?」
「もちろん。でも山崎が一緒なら仕事はきちんとしまさぁ。」
土方がちらっと山崎の方を見ると、不安そうな顔をしてこちらを見ていた。
「近藤さんには山崎をほしいといったのか。」
「いいやした。土方さんがいいというなら…と。」
「…そうか。」
ジュボッとライターの火をつけ、くわえたタバコに火をともす。
スパー、と土方の頭の周りを白い煙が舞った。
こうして眺めていると、山崎には町の女達が土方に対して騒ぐ気持ちがわかるような気がした。
「山崎はどうしたいんだ?」
と副長は俺に聞くが、俺には返しようがない。
これまで副長の助勤としてせいいっぱい仕事をしてきたし、この役職に愛着もわいている。
最初は副長を血も涙もない恐ろしい人だと思っていたけど、それは俺の思い違いで副長になら全てを預け、命を懸けてもよいと思えるほどにまでなっていたのだ。
この人になら、と。
だから出来るならこのまま残りたい。
しかしそれを沖田隊長の前で言えるほど俺の神経は図太いわけではなく。
あ~、う~、と奇声を発すること3分。俺はどうしてよいかわからず、副長に眼で助けを求めたが、そ知らぬ顔で俺の答えを待っている。
どう答えようか迷っていると、背中から鋭い視線が突き刺さってくるのがわかった。
この視線の持ち主は沖田隊長だということはわかる。
この部屋には俺と副長と沖田隊長しかいないのだから。
とにかく痛い!
早くこの場から去ってしまいたい!
「お、俺の一存では!…決めかねます。」
と当たり障りのないことを返して、副長の顔を見ると…世にも恐ろしい鬼が、いや副長が今にも頭の欠陥が切れるんじゃないかってくらい青筋を立てていた。
「土方さん、山崎が怖がってますぜぃ。承諾してくださせぃや。」
「…む。…だが山崎は今俺の助勤をしてもらっているから、山崎は困る。他のやつじゃ駄目なのか?」
その土方の言葉に内心歓喜する山崎と、ぶーたれる沖田。
「しかたないでさぁ。じゃあ1ヶ月だけお試し期間ってことでお願いします!それで駄目だったらあきらめますぜぃ。」
とくいさがってくるので土方はしょうがない、と
「わかった。一ヶ月だけだぞ。」
「えぇぇぇぇぇえ!!」
土方の承諾を聞き、沖田はうれしそうに笑った。
しかしその傍で山崎は納得行かないと口をへの字に曲げていた。
やっぱり沖田隊長のお願いには弱いのか、俺はどうでもいいのか、と落ち込むものの。
決まってしまったことに何を言うことも出来なかった。
「やったぜぃ!山崎!一ヶ月がんばろうぜぃ。」
よろしく、というかのように沖田隊長は俺の手を握ってぶんぶんと振った。
その横で副長は俺を殺しそうな目でにらんでくる。
かんべんしてくださいよぉ。
全く、副長も嫌なら嫌でつっぱねればいいのに…二人に振り回されて俺もいい迷惑だよな。
明日からどうなるのか。
とりあえず副長室につめることはなくなるだろう。
しかし沖田隊長の奇行についてゆくことが出来るのか。
はてさてこれから一ヶ月後に自分が無事であることを祈るばかりである。
沖田隊長の元についてはや1週間。
予想していたよりはるかに平穏な日々が続いた。
もともと沖田隊長はサボることと同じくらい、土方副長と行動を共にすることが多かったから。
副長にもたくさん会う機会があるだろうって。
だがそれも俺が助勤となってからは、土方に言っていたようにまじめに仕事をするようになったのだ。
副長にも絡まなくなった。少なくとも俺の前では。
三度の飯より副長をからかうことを好きだったように見えた沖田隊長がこうまで変わることになるとは、さすがの副長と山崎にも予測がつかなかったようだ。
だが局長は勤勉になった沖田隊長のことを単純に喜んでいた。
そんなこんなで副長と会話することはおろか、顔を見るのでさえ食事中ぐらいになってしまったのだ。
あの人はちゃんと休息はとっているのだろうか。
俺がしていた仕事は誰がしているのだろうか。
「山崎ぃ~お茶くだせぃ。」
「はいよ!すぐいれてきます。」
台所に行って急須にお茶をいれ、湯びんを二つと茶菓子を少しお盆に載せて部屋に持っていった。
部屋に着くと、仕事中だった沖田隊長が振り返って俺を出迎えてくれた。
「おかえりなせぇ。」
これは沖田隊長の下についてからいわれるようになったことだ。
副長の傍にいたときはそんなこといわれることなんてなかったので、嬉しいような照れるような複雑な気持ちだ。
でもこんなに俺に対して素直だと、何かしてあげたいと母性本能?のようなものを感じる。俺男なのに。
「はいどうぞ。暑いので気をつけてくださいね。」
ふぅふぅとお茶を冷ましながら、沖田隊長は山崎を見つめる。
ただでさえ綺麗な顔なのに、そんなふうにじっと見つめられると居心地が悪くなったように感じられた。
正座をしていた足をもじもじと動かしながら、お茶を飲んでいると
「山崎は副長といつもこんな感じなんですかぃ?」
こんな風に副長のことを尋ねられたのは初めてのことだった。
「そうですねぇ。お茶をお出ししても副長仕事やめないんですよ。俺がいくら言っても休もうとしないんで困っちゃいますよね。」
あはは、と困ったように笑う俺を隊長は見守るような優しい目で俺を見つめる。
「土方さんらしいでさぁ。それで俺とのコンビはどんな感じですかぃ?」
「結構楽しいですよ? 隊長優しいし…」
「そうですかぃ?なら嬉しいでさぁ。…ところで隊長って言うのやめてもらえませんかぃ?なんか肩こりまさぁ。」
隊長はぽきぽきと首を左右に動かしながら、手を肩に置いた。
そのしぐさが面白くて、思わずくすくすと笑ってしまった。
「何笑ってんでさぁ!そんなふうに笑われると土方さんのようにいじめてやりますぜぃ。」
と俺に威圧感を与えるように、沖田が近づいてきた。
もちろん、悪戯だろうと思っていたけど、さすがに笑いすぎたかなぁと思って誤ることにした。
「わらっちゃってすみません。なんか可愛かったから。…沖田さんって呼んだほうがいいんですか?」
「苗字じゃなくて名前で呼んでくだせぇ。総悟って!」
「え~!恥ずかしいですよぉ!苗字でいいじゃないですか。」
隊員の中で隊長を役名以外で呼ぶ人は近藤局長と土方副長だけだ。
それを一介の隊員が呼ぶなんてなんだか分不相応な気がして、そしてくすぐったくてなんだか恥ずかしかった。
「よばねぇと山崎のことハニーって呼びますぜぃ?俺も山崎のこと退って呼んでいいですかぃ。」
「そ、それは嫌ですよぉぉ!!わかりました!総悟さんって呼びますね?俺のことも名前でいいですけど、仕事中はやめてくださいよぉ!」
名前で呼んでいいと言われ、俺はなんだか特別扱いをしてくれているようで、少し嬉しかった。
ちょっとにやけてたかもしれない。
沖田隊長のほうを見ると、なんだか俯いて表情が見えない。
どうしたのかなぁ。
でも隊長となら一ヶ月がんばれそう。
土方副長にはサド星から来たサド王子って言われてもおかしくないくらいなのに、俺には優しすぎるくらい優しい。
副長は無愛想が服を着て歩いているような人なので、普段の生活の中で優しさを垣間見ることは難しいけれど。
部下のことにはそれなりに親身になって考えてくれるお人だ。
副長の傍に長くいすぎたせいで、副長のことを考えることが習慣化してしまったのか、ふとした瞬間に副長の顔が頭に浮かぶ。
俺に怒っていたように誰かを怒ってるのかなぁ、怒ってないといいなぁ。
バタバタバタと副長室の前の廊下を近藤局長が早歩きで歩いていた。
外はもうすでに日も落ち、明かりをともさなければ、字を読むことは難しいだろう。
「トシ~!元気にしてるかぁ。」
山崎が総悟のところへ行ってから、ちょくちょく近藤は土方の様子を見に部屋に行っていた。
なぜかというと、山崎がいなくなったことで、副長が仕事をするのを止める人がいなくなったからだ。
副長は要らないといったのだが、局長がいるだろう、と説得してなんとか置いたのだった。
代わりの助勤として選ばれたのは、山崎と同じ監察の人間である。
ではそう変わらないだろう、と普通なら考えてしまうだろう。
しかし天下の鬼副長に意見なんて恐ろしくて、並みの隊員なら言うことなんて出来ない。
そんなことを行ったら、間違いなく雷が落ちるからだ。
では山崎はどうしていたのかというと、直接的に言うのではなく、茶を出し、菓子を出し、手を変えて、副長が仕事をとめずとも、心が休まるように、ストレスを発散できるようにしていたのだ。
最も副長の主なストレスの原因は隊長の襲撃が原因だったので、そこまでストレスはたまっていないはずである。
「どうだぁ?…やっぱり今日もか?」
視線の先には目を血ばらせながらも黙々と仕事をしている土方の姿があった。
その横では同じように仕事をしつつも、青ざめた顔をした山崎の代わりを務める隊員がいた。
近藤を見るや、安心したように隊員は息を吐き出した。
「おい。トシ。お前がそんなに根つめると横にいる松本が休めねーだろ?」
「だが仕事がたまってるんでなぁ。休むわけにはいかねぇよ。」
とようやく顔を近藤の方に上げて、返事を返した。
寝てないのか、目は充血して大きなくまができていた。
灰皿には吸いきったタバコの山が出来ていた。
部屋にはタバコの煙が充満していた。
いきなり部屋に入ったら咳き込みそうなくらいである。
近藤はこの状況になれていたので、咳き込むことはなかったが。
「お前タバコ吸いすぎ。そんな生活送ってたら死んじまうぞ!」
「誰が死ぬかよ。俺だってちゃんと考えて仕事してんだ。いちいち文句言わないでくれよ。」
近藤は土方がこんなふうに自分に言うことなんてあまりないことなので少し驚いていた。
一応近藤が新撰組の頭として隊を率いているので、一歩下がって俺についてきてくれていた。
だから俺の言葉には不承不承にもうなずいていくれたのだが、そんなに山崎がいなくなったことがトシにとってダメージを与えていたとは。
総悟の願いに簡単にうなずいてしまったことを、この時近藤は後悔していた。
確かに山崎は優秀な監察で使い勝手がいいし、役に立つ人間だ。
だがここにいる松本も日々の雑用や何度の高い仕事でなければ、そう失敗することはないはずだ。
このままあと3週間もすごしたら、間違いなくトシは過労死してしまうかも。
その可能性を思い浮かべ、近藤は頭が痛くなった。
今のトシを見ていたら、想像が現実になってしまいそうだ。
「なぁトシそんなに辛いんなら総悟に言って山崎を返してもらえよ。総悟だって頼めば、何とかなると思うぜ。」
そう俺が言うと、トシはじろりと俺をにらんだ。
「そんなこといえねぇよ。それに…あいつだって総悟と仲良くやってるって聞いてるし、あってんじゃねぇのあいつら。」
トシ言ってる事と、やってることが矛盾してるぞ。
ボキリと万年筆の折れる音がし、松本が振り向くと折れた万年筆を握り締める副長。
しかも青筋立ててかなり怖い。
心の中で山崎先輩戻ってきてくださいと願いつつ。
目に涙を浮かべていたのは、沖田の土方にした願い事に巻き込まれてしまった哀れな隊員であった。
「そりゃぁ総悟が自分から推薦したんだし、山崎があわせねーわけねぇだろ?確かに仕事もちゃんとやってるみたいだしなぁ。」
「あぁ、サボらずにちゃんとやってる。だから戻さなくていいといってるんだ。」
「でもなぁ。お前のこと任せられるのあいつしかいね―んだよなぁ。お前の傍にいたら、総悟のことも一緒に見ててもらえるしなぁ。」
「俺は子供じゃねぇし、おもりやくなんて必要ねーよ。」
「でもお前一人にしておくと、休まねーし。お前をこわがらねーの山崎くらいだし」
ダンッと土方は机を拳で叩きつけた。
ゆらりと立ち上がり、静かに言った。
「近藤さん。俺にそんな気はねぇんだ。仕事の邪魔するんなら、外に出てくれ。」
「わかった。あんま無理すんじゃねぇぞ。…またくる。」
近藤はそう言い残し、パタンと障子を閉めた。
後に残った隊員は恨めしそうに近藤を見つめていたが、どうすることもできない。
いないよりはましだろう、ここは我慢してもらいたい。
あぁ、面倒くさいことになった。
最近総悟がトシを襲うところを見なくなったが、二人は元気でやってるのだろうか。
明日にでも見に行こうかと思い、後ろ髪を引かれつつ副長室を後にした。
とりあえず今日は妙さんに話でも聞いてもらおう。
さっきまでの真剣な表情がうそみたいに、気の抜けた馬鹿そうな顔だ。
これではストーカーと呼ばれて、妙にぶん殴られても文句は言えないだろう。
もっとも妙の暴力には何の遠慮もなく、心のそこからの憎しみを叩きつけているのだが。
人の心を理解するということは、なんとも困難なことか。
自分の心さえ、自覚するのが難しいというのに。
その心のまま正直に行動するなんて、不可能に近いと思っている人さえいるかもしれない。
そんな中、ある意味正直に、そして本能のままに動いているから、周りがついてくるのかもしれない。