沖田隊長の元についてはや1週間。
予想していたよりはるかに平穏な日々が続いた。
もともと沖田隊長はサボることと同じくらい、土方副長と行動を共にすることが多かったから沖田隊長の助勤であれば。
副長にもたくさん会う機会があるだろうと、安易に考えていた。
だがそれも俺が助勤となってからは、土方に自分で言っていたようにまじめに仕事をするようになって。
…副長にも絡まなくなったのだ。少なくとも俺の前では。
三度の飯より副長をからかうことを好きだったように見えた沖田隊長がこうまで変わることになるとは、誰も思わなかったから。
沖田隊長の変りように皆が驚き、怯えていた。
局長は勤勉になった沖田隊長のことを単純に喜んでいたが。
そんなこんなで副長と会話することはおろか、顔を見るのでさえ食事中ぐらいになってしまったのだ。
あの人はちゃんと休息はとっているのだろうか。
俺がしていた仕事は誰がしているのだろうか。
「山崎ぃ~お茶くだせぃ。」
「はいよ!すぐいれてきます。」
台所に行って急須にお茶をいれ、湯びんを二つと茶菓子を少しお盆に載せて部屋に持っていく。
部屋に着くと、書類をまとめていた沖田隊長が振り返って俺を出迎えてくれた。
「おかえりなせぇ。」
これは沖田隊長の下についてから言われるようになったことだ。
副長の傍にいたときはそんなこと言われるどころか、普通に会話を交わすことさえ難しかったので。
嬉しいようなくすぐったいような、複雑な気持ちだ。
でも俺にだけ、素直だとかわいくて、何かしてあげたいと母性本能?のようなものを感じる。俺男なのにおかしいよね、こんな気持ち。
「はいどうぞ。暑いので気をつけてくださいね。」
ふぅふぅとお茶を冷ましながら、沖田は山崎を見つめった。
ただでさえ綺麗な顔なのに、そんなふうにじっと見つめられると居心地が悪くなって目をそらした。
正座をしていた足をもじもじと動かしながら、山崎はお茶を飲んでいると
「山崎は副長といつもこんな感じなんですかぃ?」
と尋ねられ、こんな風に副長のことを尋ねられたのは初めてのことだった。
「そうですねぇ。お茶をお出ししても副長仕事やめないんですよ。俺がいくら言っても休もうとしないから困っちゃいますよね。」
あはは、と困ったように笑う俺を隊長は見守るような優しい目で俺を見つめる。
「土方さんらしいでさぁ。それで俺とのコンビはどんな感じですかぃ?」
「結構楽しいですよ? 隊長優しいし…」
「そうですかぃ?なら嬉しいでさぁ。…ところで隊長って言うのやめてもらえませんかぃ?なんか肩こりまさぁ。」
隊長はぽきぽきと首を左右に動かしながら、手を肩に置いた。
その仕草が面白くて、思わずくすくすと笑ってしまう。
「何笑ってんでさぁ!そんなふうに笑われると土方さんのようにいじめてやりますぜぃ。」
と俺に威圧感を与えるように、沖田が近づいてきた。
もちろん、悪戯だろうと思っていたけど、さすがに笑いすぎたかなぁと思って謝ることにした。
「笑ってしまって申し訳ありません。なんか面白くて。…沖田さんって呼んだほうがいいですか?」
「苗字じゃなくて名前で呼んでくだせぇ。総悟って!」
「え~!恥ずかしいですよぉ!苗字でいいじゃないですか。」
隊士の中で隊長を役名以外で呼ぶ人は近藤局長と土方副長だけだ。
それを一介の隊士が呼ぶなんてなんだか分不相応な気がしたから。
「よばねぇと山崎のことハニーって呼びますぜぃ?俺も山崎のこと退って呼んでいいですかぃ。」
「そ、それは嫌ですよぉぉ!!わかりました!総悟さんって呼びますね?俺のことも名前でいいですけど、仕事中はやめてくださいよぉ!」
名前で呼んでいいと言われ、俺はなんだか特別扱いをしてくれているようで、少し嬉しかった。
ちょっとにやけてたかもしれない。
弟がいるってこんな感じかな。
沖田隊長のほうを見ると、なんだか俯いて表情が見えない。
どうしたのかなぁ。
でも隊長となら一ヶ月がんばれそう。
土方副長にはよくサド星から来たサド王子って言われてるけど、俺には優しすぎるくらい優しい。
副長は無愛想が服を着て歩いているような人なので、普段の生活の中で優しさを垣間見ることは難しいけれど。
部下のことにはそれなりに親身になって考えてくれるお人だ。
副長の傍に長くいすぎたせいで、副長のことを考えることが習慣化してしまったのか、ふとした瞬間に副長の顔が頭に浮かぶ。
俺に怒っていたように誰かを怒ってるのかなぁ、怒ってないといいなぁ。
あなたが特別親しいと思わせる素振りはそれだけだったから。
バタバタバタと副長室の前の廊下を近藤局長は早歩きで歩いていた。
心持ち、焦っていたのかもしれない。
外はもうすでに日も落ち、明かりをともさなければ、字を読むことは難しい。
灯が灯っているということは部屋にいるはずだ。
「トシ~!元気にしてるかぁ。」
山崎が総悟のところへ行ってから、ちょくちょく近藤は土方の様子を見に部屋に来ていた。
なぜかというと山崎がいなくなったことで、副長が仕事をするのを止める人がいなくなったからだ。
山崎の代わりに誰かかわりのものを置こうと局長は言ったのだが、副長はいらないの一点張り。
結局近藤にしては珍しく押し切った形で、一人隊士をおくことになったのだが。
代わりの助勤として選ばれたのは、山崎と同じ監察の人間である松本という人間。
だが土方の仕事をとめることなんて、恐ろしくて出来るわけがない。
天下の鬼副長に向かって意見なんて恐ろしくて、言った後に失神してしまうかもしれない。
松本はそんなことを言ったら、怒鳴られるだけでなく虫の居所が悪ければ切られるかもしれないと本気で思っていた。
山崎は気難しい副長に対処していたのかというと、直接的に言うのではなく、茶を出し、菓子を出し、手を変えて、副長が仕事をとめずとも、心が休まるように、ストレスを発散できるようにしていたのだ。
言葉に出して休むよう進言することもあったが、その場合は殴られること前提だったけど。
最も副長の主なストレスの原因は隊長の襲撃が原因だったので、そこまでストレスはたまっていないはずである。
だが土方と言葉を交わす機会なんて数度しかない代理の助勤にそこまで求めるのはこくなことだろう。
もともと助勤にそこまでの仕事は入ってないのだから。
それを無意識にやっていた山崎の方が特異といえるだろう。
「どうだぁ?…やっぱり今日もか?」
視線の先には想像通り、目を血ばらせて黙々と仕事をしている土方の姿があった。
その横では同じように仕事をしつつも、青ざめた顔をした山崎の代わりを務める隊士がいた。
近藤を見るや、安心したように隊士は息を吐き出した。
ただでさえ土方は他の隊士に恐れられているのだ。
その土方の機嫌が最高に悪い状態で同じ部屋に放り込まれて、しかも無言。
ストレスで身のすり減る思いだろう。
「おい。トシ。お前がそんなに根つめると横にいる松本が休めねーだろ?」
「だが仕事がたまってるんでなぁ。休むわけにはいかねぇよ。」
とようやく顔を近藤の方に上げて、返事を返す。
寝てないのか、目は充血して大きなくまができていた。
灰皿には吸いきったタバコが積み上げられ、山のよう。
そして部屋にはタバコの煙が充満していた。
いきなり部屋に入ったら咳き込みそうなくらいである。
近藤はこの状況になれていたので、咳き込むことはなかったが。
「お前タバコ吸いすぎ。そんな生活送ってたら死んじまうぞ!」
「誰が死ぬかよ。俺だってちゃんと考えて仕事してんだ。いちいち文句言わないでくれよ。」
近藤は土方がこんなふうに自分に言うことなんてあまりないことなので少し驚いていた。
一応近藤が新撰組の頭として隊を率いているので、一歩下がって俺についてきてくれていた。
だから俺の言葉には不承不承にもうなずいていくれたのだが、そんなに山崎がいなくなったことがトシにとってダメージを与えていたとは。
総悟の願いに簡単にうなずいてしまったことを、この時近藤は後悔していた。
確かに山崎は優秀な監察で使い勝手がいいし、役に立つ人間だ。
だがここにいる松本もそこそこ出来るやつなので、そこまで能力に差があるわけではないはずなのに。
このままあと3週間もすごしたら、間違いなくトシは過労死してしまうかもしれない。
その可能性を思い浮かべ、近藤は頭が痛くなった。
今のトシを見ていたら、想像が現実になってしまいそうだ。
「なぁトシそんなに辛いんなら総悟に言って山崎を返してもらえよ。総悟だって頼めば、何とかなると思うぜ。」
そう俺が言うと、トシはじろりと俺をにらんだ。
「そんなこといえねぇよ。それに…あいつだって総悟と仲良くやってるって聞いてるし、あってんじゃねぇのあいつら。」
トシ言ってる事と、やってることが矛盾してるぞ。
ボキリと万年筆の折れる音がし、松本が何の音かと思って振り向くと振り向くと折れた万年筆を握り締める副長。
振り向いた途端、視線を書類に戻し泣きそうな顔で黙々と仕事をし続ける松本。
土方の額には青筋立てて目つきがいつもの3倍くらいつりあがって、怖いどころじゃない。
心の中で山崎先輩戻ってきてくださいと何度となく願いつつ。
目に涙を浮かべていたのは土方に沖田が頼みごとをしたばかりに、巻き込まれてしまった哀れな隊士であった。
「そりゃぁ総悟が自分から推薦したんだし、山崎があわせねーわけねぇだろ?確かに仕事もちゃんとやってるみたいだけどなぁ。」
その点は、感心するよなぁ。本当にあいつは有限実行だ。
だがこの状態の副長を放っておけるわけもなく。
「あぁ、サボらずにちゃんとやってる。だから戻さなくていいといってるんだ。」
「でもなぁ。お前のこと任せられるのあいつしかいね―んだよなぁ。お前の傍にいたら、総悟のことも一緒に見ててもらえるし。」
「俺は子供じゃねぇし、お守り役なんて必要ねーよ。」
「でもお前一人にしておくと、休まねーし。お前を怖がらねぇのって山崎くらいだし」
ダンッと土方は机を拳で叩きつけて、ゆらりと立ち上がった。
「近藤さん。俺にそんな気はねぇんだ。仕事の邪魔するんなら、外に出てくれ。」
「わかった。あんま無理すんじゃねぇぞ。…またくる。」
近藤はそう言い残し、パタンと障子を閉めた。
後に残った隊士は恨めしそうに近藤を見つめていたが、どうすることもできない。
いないよりはましだろう、ここは我慢してもらいたい、というか我慢してくれ。
あぁ、面倒くさいことになった。
最近総悟がトシを襲うところを見なくなり、仲良くなったのかなぁ、と思っていたのに。
けんかをしなくなくなったどころか、トシと相互はあれから会いもしていないらしい。仕事をまじめにしていると隊士が驚いていたと聞いたのだが。
明日にでも見に行こうかと思い、後ろ髪を引かれつつ副長室を後にした。
とりあえず今日は妙さんに話でも聞いてもらおう。
さっきまでの真剣な表情がうそみたいに、気の抜けた馬鹿そうな顔だ。
これではストーカーと呼ばれて、妙にぶん殴られても文句は言えないだろう。
もっとも妙の暴力には何の遠慮もなく、心のそこからの憎しみを叩きつけているのだが。
人の心を理解するということは、なんとも困難なことか。
自分の心さえ、自覚するのが難しいというのに。
その心のまま正直に行動するなんて、不可能に近いと思っている人さえいるかもしれない。
そんな中、ある意味正直に、そして本能のままに動いているから、周りがついてくるのかもしれない。